ここのバランス取りって難しいわね


まぁ、「ラジオあるある」といえばあるあるな話。
採用されないとこういうルサンチマンが参加に向くのわかるよ。実際、僕も溜まるし。
いつも言っているラジオの平穏な楽しみ方は「メールを出さずに聞くだけリスナーに徹するか」、「番組を聞かずにメールだけ送るメールを送るだけリスナー*1」の二択だと思う。マジで。

あたりまえだけど腕があるから常連なんですよ

読みやすいメールを適切なタイミングを適切なタイミングで量産するスキルがあるから常連なんであって、そうでない一般リスナーにそんなスキルはない。
メール書きは習うよりも慣れろ的なところがあり、ある程度数をこなすことは大事。ただ、それを一般リスナーに要求するのは酷な話だと思う。慣れないうちはまずふつおた1つネタを出すところから大変だろう。常連になるような人間はそこをシレッと乗り越えているため忘れがちだが、まずは1つネタを出すだけでも一般リスナーにとってはしんどいことである。
まして、そうやってなけなしのスキルを振り絞って書いたネタがボツになるのである。文章が真っ赤になるまで赤ペンを入れられ慣れてる我々でも結構しんどいんだ*2。そら、ボツの山なんて見た日には気が狂ってしまうかもしれない。

そもそもまとも文章を書ける人は少ない

身も蓋もないことをいうと大抵の日本語ネイティブの皆さんはパラグラフ*3より難しい文章が書けない。よくて文を並べるだけ、下手すると簡単な文しか書けないなんてザラ。
大学院時代、新入生のTAから卒業直前の学生まで多くの大学生*4を見てきたが、新入生でまともに文章を書ける学生なんてひとつまみだ。そして恐ろしいことにそのまま学部生としては卒業する。
大学院に進学して研究室とかでシバかれれば話は別かもしれませんが、基本的にちゃんと教育されていない日本人のパラグラフなんてそれはもうひどいものである。冗談抜きで句読点の打ち方から指導しないといけないレベル。とてもヤバい。
冗談抜きで

おはよう、みんごす
今日も可愛いね。
ところで今日パンツ何色?

よりもひどい文章だぞ(全く笑えない)。

メールのクオリティとメール職人の育成とリスナー定着のバランス

人に読ませるに耐えないクオリティのひどい文章ばかりとはいえ、メールを出す側からすれば一生懸命書いているわけで、それがボツになり続けるというのはコンテンツに対して極めてストレスを感じる事案の一つである。
ストレスの高いコンテンツからリスナーが離れるというのは当たり前の話である。ある程度つたないメール書きにもメールが読まれることでメールが読まれる喜びを知ってもらいリスナーやパーソナリティーのファンとしての定着を図るというのは別に悪い試みではないと思う。
とはいえ「人に読ませるに耐えないクオリティのひどい文章」を放送したくない業界人の気持ちもわからんでもない。ただ、そこはリスナーの大多数の国語力に合わせたメールの出しやすいコーナーを作るのが業界人の仕事ではないか?
「上手い常連のメール以外要らん」ということを暗に匂わせる対応をする作家やディレクターの番組にメールを出したり、時間を割いて聴いたりするほどこっちは暇じゃない。受け手も消化しないといけないコンテンツが山ほどあり、消化が全く追いつかず結果として「切る」以外にはないコンテンツが山ほどある中でわざわざストレスしかないコンテンツにリソースを割く余裕なんざないのである。

妥協点をどこに置くか

「メールの質」と「メールの採用の均等性」のバランスは古来からの難しい課題である。「メールの質」のみを求めれば一般的なリスナーが離れてしまうし、一般的なリスナーに配慮して質の悪いメールをたくさん読むようになると今度は質の高いメールが書ける常連たちのモチベーションが下がってしまう。この二つのジレンマの狭間でメールの採用を決めなければならない関係者の努力には頭の下がる思いである。
はらまるのようにコーナーの最後にとりあえず名前だけでも読むみたいな形が無難なのか、それ以外の解決方法があるのかよくわかりませんが、アニラジや声優ラジオのようにファンとの交流に重点をおいたばんぐみということであれば多少クオリティが下がってもふつおたは「メールの採用の均等性」にウェイトを置いて、ネタコーナーは「メールの質」を重視というバランスが一番無難ではないのかなーと思います。はい。

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*1:リスナーなの? というツッコミはこの際無視

*2:自分の文章に他人から赤字を入れられることに慣れていない人が多いので、校正で指摘や確認する文章には細心の注意が必要です。 - Togetter

*3:駿台の現代国語だと『意味段落』に相当すると思う。一般的な国語で言う所の段落ではないことに注意

*4:それも一応国立大の学生である